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act 7



その男は、その場に立っているだけにも関わらず、その場に居る、全ての人間の視線を集めた。

キャストである女達は、仕事中だと言うにも関わらず、接客と言う言葉を忘れ、その男に魅入っている。
客である男達でさえも、その男の醸し出すオーラが、あまりにも自分達と違うのに言葉も出ないようだった。

そんな中で、目を見開いていた季菜は、我に返ると自分の心臓が信じられない程、早く音を刻んでいるのに気付いた。
男から視線を離し、言葉を失っている客の肩を叩き、いつも通りの接客をする……。
しかし、そんな季菜の肩を、今度はボーイが叩いた。

新からの、指名。

季菜は思わず、新の方へと視線をやった。
その視線は、意図も簡単にかちあった。

立つ事さえ忘れている季菜の名をもう一度ボーイが呼ぶと、季菜は、やっと頷き立ち上がった。

席につくために歩く。
たったそれだけだというのに、その足が震えた。
らしくない。
そんな事を、頭の隅で考えたりもした。

足が震える理由を考える余裕もない。
キャストの視線が、自分に注がれているからか、それとも、その間も、新がずっと自分をみているからか……。
新の席に着いたというのに、季菜は座るという事も忘れた様に、その場に立ち尽くしたままだった。

いつもの季菜らしくない。
茜や莉亜達も不自然に思っていた。
そんな中、沙柚だけは納得が言ったと、しかしやっぱり信じられないとでも言う様に双方を見ていた。

「よう」
あの時と、何も変わらない新の言葉。
まるで、何もなかったの様だった。
新の言葉に、返す事も出来なければ、座る事もしない季菜の手を、有無を言わず新は引き、体勢を崩すように季菜は座った。

「い、いらっしゃい……ませ」
それだけ言うのに、いっぱいいっぱいと言った感じだった。
そんな季菜の様子を、おもしろそうに新は観察をし、口を開いた。

「寝癖は直ったかよ?」
「なっ! こんな所でっ……」
新と季菜の会話は、店全体が聞き耳を立てているようだった。

新が季菜を指名した事で、女の子達は、接客どころではないらしい。
一体、この二人の関係はどんなものなのか? 気になって仕方ない所にくわえ、今の会話。
客もキャストも一緒になって、二人の会話に聞き入っている……。

「て言うか、一体なんで……?」
「何でって……此処の店だって言ってただろ?」
「そりゃ言ったけど……。何で来たの? 何か用……?」
季菜の口から出てくる台詞を、新は鼻で笑ったあと、様子を伺いながらイタズラな笑みを向けた。

「用がなきゃ……来ちゃいけねーのか?」
「べ、別に……」

季菜は、沈黙してしまった。
やっぱり、この男の前では、自分らしさが出せない……。
そんな季菜の様子を、操達は見ている。
普段の季菜なら、こんな風には絶対にならない。
客との会話を途切れさすことなく、かつ退屈させるような事は絶対せず。
自分の世界へとひっぱりこむのが上手い季菜だったはず、しかしどうだろう、其処には季菜らしさが、ひとつだってなかった。

男にふりまわされている感を、その場にいる誰もが感じ取っている。
その雰囲気が、さすがに季菜にも伝わったらしく、気まずそうに季菜は口を開いた。

「あ、あのっ……と、とりあえず、せっかく遊びにきたんだもの。No1でも呼ぶ? 沙柚って言うんだけど――――」
「俺はお前に逢いにきたんだよ。別に他はいらねー」

自分の言葉を遮断した新の台詞に、とうとう季菜は言葉を失くした。
あわあわと口を震わせ、頬を染めている。

頭の中は、色々なものがぐちゃぐちゃと入り混じっている。
何でこんな所に来たのか、何をしに来たのか、全然分からない。
そして、接客の仕方も、忘れてしまった様だった。

そんな中巡った沙柚の言葉……。
「好きになった……?」
ありえないと首を振った。
けれどこの胸の音は、どんどんと音を増していく。
客に胸を高鳴らせても、客に胸を鳴らすなんて、もうずいぶん経験していない。
それどころか、初めてかもしれないとさえ思えた。


口を開いても、言葉は出てきてくれない。
自分は、この店の、No2だと、こんな失態、許されない。そう考えれば考えるほど、頭は真っ白になっていった。

一度、パニックに陥ると、中々其処から這い上がるのは難しい。
耐え切れない様に、季菜は席を立った。
「ちょ、ちょっとゴメン……」
新は、意地悪そうに笑ったまま、季菜を促した。

つかつかと季菜が行く先。
沙柚の席に行き、客を一切見ずに、その腕を引き上げ、ずるずると奥へと引っ張りこんで行ってしまった。
唖然……。皆唖然……。そんな中、新一人だけは、クックと笑っていた……。







「どどどどうしようっ! どうしようっ!」
沙柚の肩をグラグラと揺すりながら、言葉をまくし立てる季菜を、どうにか落ち着かせようと沙柚はしていたが、中々それも難しかった。

「おっ、季菜ちょっと落ち着いてっ」


何度めかの沙柚の言葉に、やっと季菜は落ち着きを取り戻した様だった。
これだけ季菜が取り乱すのは珍しい。自分の言った事も、あながち嘘ではないかもしれないと沙柚は思った。
季菜はすがる様な視線を沙柚に向けている。

「ってか、あの新だったなんて、衝撃的だわ」
沙柚の言葉に、困惑を残しつつ、季菜は首をかしげた。
「あの有名な新、知らない方がおかしいでしょ」
続く沙柚の言葉に、季菜はいよいよ頭を困惑させた。

「有名? そりゃ格好いいとは思うけど。てか新の事知ってるの?」
「多分、皆知ってる。【loop】のオーナーじゃない。本当に知らないの?」

「……知らない」

沙柚は呆れる表情をさせた。
ioop。ホスト業界では、知らない人は居ない。
日本で、頂点にたった新が、自身で店をオープンさせたのは、ニュースにだってなった。

あらゆる事を勉強し、客に応える事が出来る季菜だったが、唯一ホスト業界の事は、どうでもよかったらしく、知ろうともせず、また情報を耳に入れるという事もしなかった。
ゆえに、何処の店では誰がNo1だ、などと言う事も知らなかった。

「まぁ、いいわ。とにかく、季菜ってば、本当にあの新とシちゃったの?」
控え室の向こう側、マネージャーが、早く出て来いと合図をしている。
しかし二人はそれをことごとく無視し、会話に没頭していた。
「し、シちゃったみたい……。何? それって大変な事なの? 私殺されちゃうとかっ?!」
本気で表情を蒼白させ季菜は沙柚に聞いてくる。
何をとんちんかんな事を言っているんだと沙柚は思いながら、口を開いた。

「違うわよっ! 今まで新が誰かと噂になった事なんて一度だって無かったの! たった一度だってよ? 新は皆のモノ。それが彼のキャッチコピーだったんだからっ。そんな彼と、季菜から誘ったからって、Hしちゃうなんて……。信じられない……」

次から次へと、信じられないのは私の方だと季菜は思った。
ホスト業界の頂点?
だったら、そんな男が何故自分に話しかけたのか?
と言うより、本当にそんな彼と自分は体を重ねてしまったのか?
それは考えずとも体が、記憶が覚えていた。

大体にして、そんな男ならば、女が放っておかないだろう。きっと、誰も知らないだけで、何人も手をつけて居るはず……。

そう思った所で、その中の一人に自分が入ってしまったと、そしてそんな男相手に、可愛らしく頬を染め、意識している自分に気付いた。

(冗談じゃない……)

思った時には、沙柚を一人放置し、つかつかと新の方へと、そして目の前に立ったかと思えば、冷ややかな視線を送った。
「お帰りください」

店内は騒然とした。

あ、も言えない男が入ってきて、季菜を指名したかと思えば、その季菜はその男に頬を染めて、そして立ち上がって中へと消えていった。かと思えばいきなり出てくるなり、うってかわって男に浴びせた非道な台詞……。

「客に対してスゲー言い草だな」
そう言った新は、あくまで楽しそうにしている。
その表情は、更に季菜の神経を逆撫でしてしまう。
青筋が立ったのを必死に隠すように、季菜は笑みをつくり、極上のスマイルを作った。

「お帰りください」

相変わらず言葉は冷たいに変わりはない。しかしその声だけは、男をうっとりとするほど甘かった。

しばらく新は季菜を見続けていたが、一瞬だけ笑うと、腰をあげた。

「ナンか知らねーけど、嫌われちまったみてーだな」
新は季菜の頬に触れようとした。その手をやんわりと季菜は阻止すると、微笑みながら口を開いた。

「そんな、嫌いになんてなってません。だって、最初から、何も思ってないんですから」

美しい笑みだからこそ、冷たく見える時がある。
今がそれにピッタリだった。

季菜の後をついて出て来た沙柚は、ハラハラとしながら二人の行方を見守っている様だった。
店内は、シンと静まりかえっている。

軽く新は息をついた。
「今日の所は帰るわ」
言うと、季菜の頭の上に手をポンっと置いた。

本当は、まだ心臓がいつもより早く音を刻んでいるのに気付いてる。
けれど、オモチャの対象になる気は、さらさらなかった。
別に付き合ってる事もない。たった一度だけ体を重ねただけ。
うぶな女なんかじゃない。今まで何度だってそうやって好きな男の下では鳴いてきた。

なのに、あの夜すべてを、汚されてしまった気がした。

悔しいのか、せいせいしたのか、分からないけれど、季菜は下唇を強く噛み締めながら、新の背中を見送った……。





……To Be Continued…

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